お寿司といえば日本食の代表。握りに巻きもの、ちらし、お稲荷さんまで、
お寿司は子供から大人まで、世代を越えて愛されている“国民食”ともいえるでしょう。
どうして日本人はお寿司が好きなのでしょうか。
お寿司の歴史の中に、その理由を探ってみましょう。
実は、寿司の起源は日本ではありません。一説によれば、1200年前頃に東南アジアに生まれ、中国経由で日本に伝わったといわれています。
といっても、当時の寿司はいわゆる「握り」ではなく、魚を米と一緒に漬け込んで発酵させた保存食でした。「熟れずし」といい、米は食べずに、酸っぱくなった魚だけを食べました。近江の郷土食で有名な「フナずし」は、「熟れずし」の代表的なものです。安土桃山時代になると、発酵した米の部分も食べるようになり、「飯ずし」が誕生。やがてそれは、箱に詰めた飯の上に魚の身を置いて押す「箱ずし」へと発展しました。
町民文化が花開いた江戸時代、「箱ずし」はひとつの食のスタイルとして流行しました。天明6年(1786)の喜多川歌麿作「絵本江戸爵」には、日本橋の往来で「箱ずし」を売る屋台が描かれています。「サテ、どれにしようかしら」と、屋台をのぞき込んで品定めする姿。まさしく現代のファストフード同様、ポピュラーな存在であったことがわかります。
それでは、「握りずし」はいつ頃登場したのでしょうか。これには諸説あり、明暦3年(1657)の大火いわゆる振袖火事の際に炊き出しとして登場した、延宝年間(1673~1681)に松本善甫という医者が考案した、文化年間(1804~1818)深川の「松がすし」という店がつくった…などの説があります。「本当の話」かは定かではないものの、はっきりとした記録が残っていないことこそ、庶民の味として生まれ、発展してきた証ともいえます。とりわけ火事の炊き出しがルーツという説は、いかにも江戸っ子が生んだ食文化という思いを抱かせます。もちろん、恵まれた漁場である江戸湾という地の利も、握りずしが発展した理由のひとつに挙げられるでしょう。
ひと頃はお寿司屋さんといえば高級なイメージで語られがちでしたが、最近ではランチメニューを用意するなど気軽に入れる店も増えています。時代はめぐり、寿司はますます身近な存在になってきたようです。